No.020バゲット

バゲット

地元愛あふれるパン屋の名物バゲット

「パン屋になる」。何気ない冗談が現実の夢に

「パン屋になれば、毎日パンを食べれるよね」。
高校の部活帰りに、近所のパン屋で買ったきなこドーナツを食べながら、友と交わした何気ない冗談。それがいつのまにか本気の夢となり、その夢を叶えて今、東広島市で人気のパン屋『ブーランジュリ シェ ジョルジュ』を営むのが山本和也さんです。
「とにかく人と違うこと、自分にしかできないことをしたいと思っていた」という山本さんは、高校卒業後の進路にパン作りの専門学校を選びます。「オカンに言ったら、泣いてしまいました。頼むから大学だけには行ってくれって」。それでも最後は学費を出して見送ってくれた“オカン”。その気持ちに応えるため、生活費は住み込みのアルバイトで稼ぎながら、大阪の専門学校でパン作りの基礎を学びました。「必ず将来、西条でパン屋を開く」と心に誓いながら。

ふたつの大きな出会いと突然の闘病生活

専門学校卒業後は広島に戻り、当時はまだ珍しかった天然酵母のパン屋さんに勤めた山本さん。けれどそこではパン作り以外の仕事が多く、「もっとパンを作りたい」と思った山本さんはその店を1年でやめてしまいます。そして、自分が作りたいパン、自分がしたいパン作りを求めて神戸、大阪と転々とする中、山本さんは2つの大きな出会いを経験します。一つは、フランスパンの名店『ル・シュクレ・クール』のオーナーシェフ、岩永歩さんとの出会い。当時、山本さんが勤めていたパン工場で、フランスから帰国したばかりの岩永さんがたまたま働くことになり、そこで山本さんは本場フランス仕込みの岩永さんのパン作りを目の当たりにして衝撃を受けます。そしてもう一つ、のちに夫婦として、また『ブーランジュリ シェ ジョルジュ』を支えるパートナーとして、人生を共に歩むことになる佳愛(かえ)さんともこの時期に出会います。このふたりとの出会いによって、故郷の西条でフランスパンのパン屋を開くという山本さんの夢はぐぐっと大きく前進します。

病が教えてくれたこと。

しかしここで、大きな試練が山本さんを襲います。佳愛さんとの結婚式を控えた20日前に、白血病が発覚。結婚式も、新居もキャンセルして、それから1年間、広島で闘病生活を送ることになったのです。
闘病中にベッドの上で山本さんが考えたこと。それは「人はいつ死ぬかわからない。やりたいと思ったことはやっておかなければ」ということでした。佳愛さんの支えもあり、病を克服した山本さんは、フランスへパン修行に行こうとしますが主治医に止められてしまいます。「だったら日本の中でフランスに一番近い店で修行をしたい」と岩永シェフに弟子入りを志願、大阪の『ル・シュクレ・クール』で働き始めます。2010年のことでした。
それから3年間、岩永さんの元で「フランス仕込みのパン作りをみっちり学んだだけでなく、職人である前に人としての生き方も教わった」という山本さん。「僕のことを見放さず、最後まで叱って送り出してくださった岩永シェフは僕にとって師匠。感謝しかない」といいます。そして「僕がここでパン屋としてしっかりやっていくこと、教わったことを次の世代に伝えることが、一番の恩返しだと思うんです」。その言葉通り、広島を代表するパンの名店となった『ブーランジュリ シェ ジョルジュ』に客足が途絶えることはなく、取材している間にもショーケースのパンはどんどんなくなっていきました。

地元愛あふれるパン屋の名物バゲット

今回、山本さんが逸品に選んでくれたのは「バゲット」。先がキュッととがったユニークな形ですが、これが本場フランスではよく見かけるバゲットの形なのだそう。そして『ブーランジュリ シェ ジョルジュ』のバゲットの一番の特徴は、小麦、ライ麦、トウモロコシ、大豆と4種類の穀物の粉をブレンドして作っていること。口にした時のふわっと香る穀物の風味や深みのある味わいを楽しんでほしいそうです。
そもそも山本さんが地元東広島市でパン屋をすることにこだわったのは、「本当に美味しいフランスのパンを地元の人に食べてほしい」という地元への想いがきっかけでした。バゲットをはじめ店内のショーケースには、地元の野菜やチーズ、卵をふんだんに使ったサンドウィッチや、広島産のハチミツとチーズを使ったジョルジュオリジナル創作パン「ガレット・ディロシマ」など、地元愛を感じるパンがたくさん並びます。ぜひ一度、お店にも足を運んで、数あるパンの中からお気に入りを選ぶ楽しさも味わっていただけたらと思います。

写真 加藤郁夫 / 取材・文 イソナガアキコ

店舗情報

写真:バゲット

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